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生温い話ばかりです…
2024.11.21,Thu
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2008.03.05,Wed
 困ったことになった。
 病室の前、学校の教室と同じく引き戸になっているそこは今閉じられている。大抵病室と言うと解放されているのが普通だが、流石に長期入院で常時扉が開けなたれていてはたまらない。この部屋の扉はだからいつも閉じられていた。その前で真田弦一郎は頭を抱えていた。
 全く本当に困ったことになったと真田は思った。おおおと低い呻き声さえ上げて頭を抱えうずくまり、真田は悩んでいた。はじめ何度か手を伸ばしては諦めることを繰り返していた引き戸の取っ手には、もう目をやることさえできない。真田はそれほど追い詰められていた。
 真田の傍らを忙しく行き過ぎていく白衣の人々が、迷惑そうに不安そうに目をやってすぐに逸らしていく。中学生とは思えない頑強な体が衆人環視にさらされていることも、その眼差しの中に案じるよりももう少し強い不審と不安の念が籠もっていることにも、真田は気付いていなかった。
 彼等は皆そろってこの院内で働いていて、忙しいことを理由にしてそう長く立ち止まり真田を見詰めるわけではない。しかし真田が彼等の眼差しに気付かないのはそれが理由ではなかった。それほど煩悶が深いのだ。そういうことにしてやって欲しい。
 車椅子に乗せられた気配の薄い老人が通り過ぎ、からからと小さな車輪が回る音のあいだからママーしっ見ちゃ行けません!などというやりとりも聞こえてきた。しかし真田はそれが自分に向けられたものとは欠片も気付きはしない。それどころでなかったからだ。頭を抱え膝をつき呻き声を上げて指の先が白むほど帽子を抑え付け、真田は悩んでいた。
 それはすこし離れた廊下の片隅、エレベータを下りてすぐの場所に置かれた植え込みの影に立つ柳からもよく見えた。それだけ悩めれば立派と言うほど、清々しいまでの青少年の悩みだった。
 真田の外見年齢が十か二十上積みされることを考慮に入れなければ、誰の目にもそれは明らかに違いない。全く知らぬ者から見た場合、立海の制服が随分派手な(或いは趣味の悪い)スーツに見えるかどうか。判断はそこにかかっているだろう。
 遠く、距離にして十メートルとすこし離れた場所から眺める真田の悩みはそれほど深かった。うおおおといささか上擦った声で真田が煩悶している。びくりと肩を震わせ足早に行き過ぎていく看護師の背中に目をやり、それから柳はエレベータの上に置かれた時計へ目をやった。
「ふむ」
 小さな、柳にしか意図の分からない頷きを一つして、柳は一冊のノートを取り出した。まるでスケッチでもするような滑らかな手付きで、そのノートに何事かを書き綴る。しかしその眼差しは両手で頭を抱えるようにしてうずくまり、何事か呻き声を上げている真田へ向けられたまま微動だにしない。
 しばらくしてから手を止め興味深げにノートとまだ悶えている、既にそう言ってもいいような体勢に入っている真田とを見比べ、柳は何度か満足そうに頷いた。立海大附属中学テニス部の部長といえど中身をみせてもらったことのないノートになにが書かれているか、知る術はない。ぱたりとノートを閉じ慎重に鞄の中へしまうと、柳はようやく植木の影から出た。
 足早に真田へ近付き声をかけようとする直前、柳は不安げな眼差しに気付いた。流石にというか当然というべきか、白いナース服もまだ着慣れていない年若い看護師が、うかがうような視線を柳に向けて投げている。こういうとき幸村であれば笑顔一つで彼女を下がらせるのだろうが、柳にその芸当は難し過ぎた。
 代わりに柳は表情を緩め、なんでもない心配しないでください彼はいつもああなのですと安心させるように落ち着いた声を投げた。真田は勿論、自分がなんと言われているのか気付きもしない。
 柳の言葉に安堵したのかいつもという言葉に無謀を思い知ったのか、彼女が足早に立ち去ってからようやく柳は真田へ声をかけた。
「何を悩んでいる、弦一郎」
「! 蓮二…俺が悩んでいると分かるのか。流石だな!」
 真田から送られるまっすぐな賛辞は聞き慣れたものだ。柳は眉を小さくしかめることだけで胸にわいた感情をやり過ごした。
 悩んでいるのでないとしたらその方が厄介な話だ。
 そちらの可能性については、如何に教授達人と呼ばれ立海の参謀役に収まる柳としても考えたくはなかった。部長が入院し副部長までとなったら目も当てられない。部員達に何と説明すればいいのか。
 そうは口にせず、眉を寄せたまま柳は鷹揚に頷いてみせた。手を貸し真田を立たせ、何事もなかったような口調で真田に問い掛けの答えを促した。頷き、こちらは本当に何もなかったらしく真田はいつもと変わりない調子で口を開いた。
「実は…」


 真田は悩んでいた。病室の前までやってきたものの、まだ悩んでいた。昨日、幸村を病室に見舞ったときからずっと悩み続けていたのだ。時間にしてほぼ丸一日真田は悩んでいたことになる。
 とはいえ真田の悩みは既に底を過ぎたものだった。どうしようもない場所まで真田は来ていた。仕方ない。そう言ってしまえればどれだけ楽だろうか。
 今真田が考えているのは言い訳だった。王者立海にこの人ありと謳われた、皇帝真田弦一郎にあるまじき姿だった。少なくともこの俺ともあろう者が…! という方向性で真田は悩んでいた。
 その通り。本当にどうしようもない悩みだった。
 事の起こりは十数年前に遡る。乳飲み子ではあったが既に真田は産まれていた頃だ。つまり十数年前正しくは十と四年前の今日、幸村は生まれた。きょう三月五日は、幸村精市の誕生日なのだ。
 現在幸村は入院している。幸村を襲った病の詳細について、真田は聞き及んではいなかった。どのように聞かされたところで真田には快癒を祈る他なかったし、治らないという道理もなかった。幸村は完治し、また再び立海テニス部に帰ってくると真田は信じ疑っていなかった。消えてなくなる幸村の病に、真田は興味がない。しかしいま幸村が病の床にあるのは間違いなかった。
 そのことを考え、あまり派手なことはできないが…と申し出た真田に対し、幸村は少女と言うより慈愛に満ちた聖母と言った方が相応しい笑みを浮かべて応えた。柳なら表情一つ変えずジャッカルや赤也あたりなら裸足で逃げ出す笑顔に、真田は一瞬目を奪われそれから慌てて目を逸らした。頬が自分でも熱を持っているように感じられた。
「気にしなくていいよ、真田」
「しかし…」
 視界の片隅、ぎりぎり目に映る場所で幸村が笑っていた。小さく首を傾げ、目を細め真田を見ている。
 動悸が速くなる。この心臓の音が幸村に聞こえてしまうのではないかと真田は恐れた。こんな忙しない音を耳に入れて、幸村の具合が悪くなりでもしたら申し訳なかった。静まれと言い聞かせても鼓動は相変わらず早いままだ。真田は困った。
 困ることはもう一つあった。幸村が今言っている台詞にも、真田は困っていた。
「本当に気にしなくていいんだよ。手作りのものなんて、忙しい真田の手を煩わせたくないし、ケーキとかは食べ飽きるくらいもらってるし。花もほら、部屋中に飾ってあるだろう? これ以外にも、裏庭に花壇を作らせてもらっている」
「ゆきむら…」
「だから本当、気にしなくていいんだよ。真田」
 ねと首を傾げ、下から真田を覗き込むようにして幸村は肯定の返事を引き出した。柳生なら眼鏡の角度を変え仁王は擬音のような口癖で誤魔化し、ブン太ならば謝ればいいんだな謝ればと逆ギレでもしているところだろう。そして柳であれば冷静に。それはつまり花もケーキも持ってくるなと言う意味だなと単刀直入に口にしているに違いなかった。遠回しに言うとは珍しいなと付け加えるかも知れない。精市らしくない。そこまで言って小さく睨み付けられている可能性もあった。
 まっすぐ直球で花もケーキもいらないと幸村が言ってしまっては、真田は遠慮するないってどちらも持ってくるに違いなかった。何も言わないでおけばやはり持ってくるだろう。手書きの書までつけてくるのは想定の範囲内だ。
 病院の壁になら飾ってやってもいい。その程度の譲歩は幸村もするつもりだった。そうすれば恥ずかしいのは真田と折半だ。しかし順当に考えてやはりいらなかったそんなものは。誕生日というサプライズとは無関係に真田が与えてくれるものなど、欲しいとは思わない。
 それ以外のものをよこせと幸村はそう言ったのだ。その意図を正しく汲み、それ以上を気付くこともない真田は悩んだ。
 幸村からそう言われたのは昨日で、既にいくつか用意してあったものも勿論あった。しかし幸村が持ってくるなと言うのだ。
 幸村は優しい男だから、自分がケーキを手に持ち花束を抱え、魂を篭めて書き上げた書を黒檀の額縁に入れて持ってきたところで拒みはすまい。ありがとうと言って笑い、嬉しいとさえ続けて受け取ってくれることだろう。しかしそれでは真田の気が済まなかった。無理に幸村に笑って欲しいわけではない。
 それならばいっそと、真田は全て家に残し病院まで来た。そう決めたのは真田自身だった。幸村の負担になるくらいなら、そんなものはない方がましだろう。その考えを間違っているとは思っていない。しかしやはりなにも持たず、今日という日に病室を訪れる勇気が真田には足りなかった。どう言えば幸村を、そして自分を納得させられるのか。
 真田は悩んでいた。この悩みにはまるで底がないように思えた。


 幸村の誕生日だというのにどうしたらいいか分からん。
 という、限界までそぎ落とされ簡略化された真田の説明を聞き柳は理解した。幸村にしては珍しい、随分と直截的な行動に出たようだった。或いは入院したことで、彼の性質はすこし穏やかなものになっているのかも知れない。
 そう考えかけて、その可能性はないとすぐに柳は首を振った。丸くなった人間が今すぐ来いとそれだけの台詞で、人を柳を友人をPHSで呼び出すわけがないだろう。律義に何故だと折り返し電話をしてまで問い掛けた柳に対して、今度の幸村の台詞も一言だけだった。
「俺の誕生日だ」
 誕生日に真田一人を病室へ寄越せと、そう言ったのと同じ口だとは思えなかった。その辺りを問い掛けるよりも早く電話は切れてそれきりだ。仕方なく柳は、帰宅途中の道を大きく外れどちらかというと逆戻りし、幸村の入院している病院へやってきた。
 窓口を通すまでもなく記憶にある病室へ足を向けると、目指す病室の、学校の教室と同じ引き戸の前で大きな黒い固まりが身悶えていた。
 なんだあれは。中学に入学して以来の親友を前にして、柳が最初に抱いた感想はそれだった。
 誕生日だから。幸村がそんな子供じみた言い訳を盾にとるのは珍しいことだった。彼はそう言った甘さを自分にも他人にも許していない。自分に対しては他人の何倍も彼は厳しかった。その唯一の例外といっていいのが真田だ。幸村はどこか真田には甘かった。そして甘やかせとも真田に強いている節があった。気付いているかどうかはしれないが。
 その真田が病室の扉の前で悶えている。可能性として考えなくもなかっただろうが、幸村としてはさぞや口惜しい展開だろう。面会時間の終了までいくらもないことと併せて、幸村が手段を選んでいられなかったことも分かる。
 誕生日だ。柳はいくつかのシミュレーションのあとそう付け加えた。しかしたとえそうでないとしても、柳は幸村の為になにかをするのは嫌いではなかった。彼に甘えられるのは悪くない。そう思うだけで済んでしまう程度には、柳も幸村が好きだった。勿論友人としてだが。
「弦一郎、何を悩む必要がある」
「蓮二…」
「精市がどんな男か、お前が一番よく分かっているだろう。あれは一度口にしたことは必ず守る、嘘はつかない男だ」
「そうだ。幸村は男の中の男だ」
 いやそう言う話ではないだろう。自分ではじめた話題だったが、柳は早くも腰を折りたくなった。男の中の漢、かんと書いておとこと読む人間であることは否定しないが、いまそう言う話をしているわけではない。
 そのままきらきらとした眼差しで、幸村が如何に素晴らしい人間であり男らしくまたテニスプレーヤーとして優れているかを真田は語りはじめようとした。これではいけないと気を取り直される。
「幸村は素晴らしい男だ。友人として、また同じテニス部員として全く誇らしいものだ。そう思わんか、蓮二」
「…それなら分かっているだろう。精市が本当にほしいものがなにか」
「む…」
「菓子も花もいらないと言ったのだろう。お前の手を煩わせたくないとも。
 つまり物ではなく、気持ちがあれば充分だと言っているのだ精市は」
「む」
「お前がこの病室の戸を開き、一言誕生日おめでとうと言ってやれば済むことなのだ」
 いや多分違う。或いは最初はそうだったかも知れないが、ここまで引っ張っておいてそれはないだろう。今更そんな程度で誤魔化されてくれる幸村ではない。
 それを垣間見せることもなく柳は断言した。沈黙は金である。柳が人生において信条とする言葉の通りにして、間違ったためしはない。
「そうなのか…?」
「弦一郎は精市が、物と気持ちのどちらを大切にする男だと思うのだ?」
「そ…その通りだ、蓮二!」
 唐突に自信に満ちあふれた声となり真田は握り拳を作ってみせた。全く世話の焼ける男だった。病室の中にいる者と廊下に立っているどちらにも言えることだったが。
 時計を見れば面会終了まで三十分ジャスト。まあぎりぎりどうにかなる時刻だろう。そう柳は判断した。実際はどうか知れないが、どうにかするのは幸村であり柳ではない。なんにしろどうにかされるのは真田だったが、それはこの際どうでもよかった。
 柳の中にはある種の達成感だけが満ちていた。その満足だけを抱えて、踵を返し柳は元来た廊下を戻るべく歩き出した。
「どうした蓮二、幸村に会っていかんのか?」
 引き戸に手をかけ今まさに戸を開こうとしている真田からそう声を掛けられ、柳は肩越しに小さく手を振ってみせた。足を止めることはしない。
「すまないが用事を思い出した。明日また改めてくると精市に伝えておいてくれ」
「そうか。残念だ」
 からからからと引き戸を動かす際に立つ小さな音を背中に聞きながら、柳は素早く幸村の病室から遠ざかった。完全に扉が開ききるより早く射程範囲内から出たかったのだ。
 なんの射程距離かは考えたくない。テニスボールとラケットを手に取れば神の名に相応しい幸村だ。彼のサーブは柳の知る限りいちばん早く、そして正確無比だ。思った通りの場所に打つことができるだろう。たとえそれが扉の向こう、見えない場所だったとしても可能とするに違いないと思わせるだけの能力が幸村にはあった。
 やな木瀬は速やかに素早く、病室から遠離ることにした。
「遅くなってすまな………待て幸村! はやまるな! ゆき」
 丁度開いていたエレベータに飛び乗ったところで、真田のものらしき声が聞こえた気がしたが、きっと気の所為だったに違いない。
 閉ボタンから柳は決して指を離さなかった。






続きがR15です。
完成次第、upします。

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