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生温い話ばかりです…
2024.11.21,Thu
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2008.01.18,Fri
 その時、真田弦一郎は深い眠りにあった。
 夢は見ていたのかどうか。よく分らない。あまり真田は夢を見なかった。見たところで憶えていないことも多い。だから実際のところ、見たかどうかは分らない。
 分らないが、たとえ見ていたとしても憶えていられなかっただろう。それだけは確かに言えた。
 それほどの衝撃だった。
「ほら、起きろ真田」
 いつまで寝ているんだ。しかし続けられた幸村の言葉に応えたくても声が出ない。そもそもいつまでと言われても、窓の外はまだ暗い。眠っていて文句を言われる時刻ではないはずだった。
 念のため、壁に掛けられた時計に目を向け確かめる。それは丁度真田を蹴飛ばし叩き起こした張本人の肩越しに見ることができた。日付の変わるすこし前、朝の早い真田であれば眠っていて当然の時刻だ。一体何故自分が、こんな時刻に起こされなくてはならないのか。
「なにぼうっとしてるんだ?」
 ほらともう一度蹴りが飛んできて、真田はそれを反射神経だけでどうにか避けた。十の年を数えるかどうかの頃からの付き合いだ。流石に体も馴れている。
「なんだ起きてるじゃないか」
「…何用だ幸村」
 しれっとした顔で言う(起きていなかった場合どんな目に遭っていたのかは考えたくない)幸村精市に、真田は寝起きという理由以上の剣呑な眼差しを向けた。こんな時間に。
 全くだった。真田は言いながら再び時計に目をやる。見慣れたそれはあと三十分ほどで長針短針共に頂点で重なるところだった。その隣りに掛けられたカレンダーは、既に来年のものに変えられている。
 今まさに年が変わろうとする時刻だった。
 大晦日に一日しかない休みで大掃除をし、その最後に取り替えた壁のカレンダーには薄い色で書かれている日付が今日だった。あとすこしで終わる。しかしそれらを理解したところで、真田にとって目の前に立つ幸村は理解しがたかった。何故彼がここにいるのか。
 十二月に入りすぐ、幸村は入院した筈だった。留守を預けるという言葉と、それに相応しいだけの仕事の引き継ぎを済ますと、当たり前のように幸村の姿を校内で見掛けることはなくなった。毎日部活のあと、持ち回りで病室まで部誌を届けに行く為に最低でも週一度くらいは顔を見たが、それでもその回数は入院する前と比べて随分減った。
 週に一度と言わず、時間が空けば毎日でも足を向ける真田でさえそう思うのだ。
 この部屋で幸村の顔を見るのも、診断が下りた秋の半ばが最後だった。少女めいた面差しがぐるりと室内を見渡すのを、真田は不思議な面持ちで見続けた。果たしてこれは夢だろうか。
 年が明けて最初に見る夢を初夢という。するとこれがそうなのだろうか。いや時刻はまだ年が変わる以前だ。いやいやあれは夢の中の時計だから、実際はそろそろ日の出も近く、初日の出を迎えるべく祖父が自分を起こしに来るのだろうか。いやいやいや。
 頭を一つ振り、真田は混乱を収めた。やはり寝入りっぱなを起こされた所為で起きるのに時間がかかっているらしい。起きろ真田と幸村が言いながら拳を固めるのが視界の端に映った。
「起きている」
「ならいい」
 慌てて言って立ち上がった真田へ、五分で支度をしろと幸村は言いつけその場に腰を下ろした。見れば畳の上に敷かれた布団の隣りに座布団が置かれている。真田の部屋にはない客用のものだ。幸村が持ち込む筈もないから、母が準備したのだろう。
 暖かそうなダウンジャケットを脱ぐこともしていない幸村を見て、真田ははじめて出掛けるのかという問い掛けが口をついた。
「当たり前だろ、忘れたのか」
 色の薄い大きな瞳が真田を見上げ、呆れたような言葉を紡ぐ。早くしろと言外に言う言葉が聞こえていたから、真田は寝間着に手を掛けながら幸村の言葉を待った。
 暖かな布団に包まれていた肌に、夜気は刺すように冷たかった。眠っているあいだに暖房をつけることなどしない。だが今はつけておけば良かったと真田は後悔した。せめて幸村が暖かいと感じられる程度に、室温を保っておけばよかった。
「初詣だ。もうみんな待ってるぞ」
 半ば以上、予想通りの言葉を投げられて真田の後悔は更に深まった。毎年のことだ、どうしてそれを自分は忘れていたのか。

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