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生温い話ばかりです…
2024.11.21,Thu
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2008.10.09,Thu









 その日、真田は神を見た。










 楽しげに話す声が耳を叩いた。コンクリートの無骨な壁に跳ね返り響く。練習を終えたばかりの部室は大抵うるさいものだ。
 消費されるカロリーが違うのだと仁王は言う。そうそう、言うなればフルコースのあとのミスド! 丸井が片手をあげていい、もう一方の片手で肩を押さえられていたジャッカルがため息を吐く。お前と付き合うお姉さんの財布に、俺は同情する。心の底から憐れむような声を上げたジャッカルは、丸井からスリーパーフォールドを食らった。入ってる入ってる! 断末魔じみた声をジャッカルが上げる。
 しかし今日それらはほとんど聞かれなかった。喋る声は聞き馴れない甲高い声だ。先輩と呼ぶから一年生か。真田達が一つ学年を上がってから既に半年が過ぎている。先輩と呼ばれ面映ゆい心地になることはもうない。
 胸に湧いた感情は、そもそもそんな暖かなものとはかけ離れているように思えた。
 ふと視線のぶつかった赤也が、ひどく慌てたように首を大きく左右に振る。しかし真田には、赤也の否定がなにを意図してなのか分からなかった。赤也の行動に理解しがたい部分があるのはいつものことだ。
「弦一郎」
 机を挟んだ正面に立った人影から名前を呼ばれる。顔を上げると蓮二が立っているのが見えた。
 蓮二は真田が応えたことを確認してから、机の上に広げられた資料に目を移した。個人情報が連ねられたプリントはどれも部室からの持ち出しが禁じられている。勿論真田や柳の名前も書かれていた。
 隠すこともせず、真田は蓮二に応じた。
「練習計画か」
「ああ。冬の分を作ってしまわなくてはならん」
「手伝おう」
 そう言って蓮二は、真田の返事も待たず向かいの席へ腰を下ろした。真田にも断る理由はない。
 オフシーズンにあたる冬は練習試合の予定も入らなかった。試合という区切りがない反面、綿密な練習計画が必要だ。
 監督のいない立海テニス部では、それら計画は三役で作成することになっていた。だからといってこの類の細かな事務作業は真田の得意とするものではない。各自の実力に見合ったとなると尚更だ。
 指導者としての能力はあっても、洞察力には優れていないのが真田だった。そういったことに秀でているのは幸村だ。彼の得意とするイップスを意図的に起こさせる技術からもそれは知れるだろう。しかしここに、幸村の姿はない。
 向かいに腰を下ろした蓮二に、弦一郎はいくつかの資料を手渡した。真田よりも蓮二の方が、それら分析と取捨選択に秀でているのは自明だ。蓮二の意見を真田は待った。
 机の隅に置かれた卓上のカレンダーには、学校行事が既に書き込まれていた。学園祭ではテニス部としてなにか催しもしなくてはならない決まりになっている。その為の予定を開けておく必要もあった。
 一度カレンダーに落としていた目を上げると、蓮二の後ろに赤也が立っているのが目に入った。いつも遅くまで身支度にかかっている赤也には珍しく、既に制服に着替えている。ネクタイだけがだらしなく弛められたままだ。
 それを指摘すると、分かっていると口をとがらせ赤也は下を向いた。分かっている態度ではない。
「…あれ、部長の彼女すか?」
 そのまま、誰の目を見ることもなく赤也はそう言った。
 頷いたのは蓮二だった。真田は初耳だ。そうなのか。
「多分な。知っている子か?」
「いいえー。クラス違うし。しっかし何人目すかね?」
「つうか、何人同時なのかが知りたいのう、わしは」
 不意に会話に割り込んできたのは仁王だった。声と頭の上に載せられた重みだけで姿が見えるわけではないが、人を食ったような口調は間違えようがない。柳生はまだそこまで仁王と同じにはなれていなかった。
 片手で振り払い睨み付けると、笑いながら仁王は両手を挙げた。降参とでも言うべき態度はひとを小馬鹿にしたようで腹立たしい。憮然とした表情を隠そうともせず、真田は仁王から目を逸らした。視界の端に映った色の薄い頭が、肩をすくめる。
 幸村は他人から愛される人間だった。もとより幸村を嫌う人間などいない。そして幸村は、他人からの求めに応じないと言うことがなかった。彼の周囲にはいつも人がいたし、彼等は皆幸村が好きだった。
 笑う声から離れた場所で、真田はいつも彼等を幸村を見ていたからよく知っていた。
 先に帰るという意味を含んだ不可思議な単語を仁王は口にし、珍しくそのあとを追うようにして赤也も消える。ジャッカルと丸井は、着替えもそこそこに既に帰宅していた。柳生に至っては、明日の委員会の準備があるとかで早めに部活を切り上げていた。
 部室に残されたのは、蓮二と真田二人きりだった。秋の涼しい風を入れるために開かれた窓からは、高い笑い声が聞こえている。
 その声が幸村を甘えたような声で呼ぶ。真田はそれを、これまでも何度か聞いたことがあった。
 幸村の周囲で人が絶えることはなかった。

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