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生温い話ばかりです…
2024.05.06,Mon
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2012.05.21,Mon
1


 翌朝起きたとき、枕元にそれは確かにあった。早朝の寝ぼけた頭で満足げに一度頷くと、真田は一度着替え道場に向かった。
 まだ祖父も起き出していないような時刻だったが、今日の気分に朝稽古は相応しいものだ。
 初夏の澄んだ空気は冷たく、大きく吸い込むと目が覚めていく感覚がした。
 道場で汗をかき、シャワーを浴びてから真田は部屋に戻って祖父からの誕生日祝いを再び手に取った。
 赤い褌である。
「…うむ」
 真田は大きく頷いた。
 大事な場面では褌の紐を締め直せというものだ。今日から一つ年を取るのだから、真田にとって今日は確かに重要な日だった。記念日だ。
 慣れた手つきで褌を着け、真田は一度背を正した。元より幼い内から、何度となく褌を締める機会はあった。年始や大事な客が来たときは和装をとるのが真田家の習いだったし、近所の祭礼で御輿を担ぐのは毎年のことだ。
 それでも万が一にも無様なことになっていないかと、真田は何度も自分を見下ろし確かめた。今の姿を確認したいとも思ったが、生憎真田の部屋には姿見の類などない。
 洗面所か脱衣所まで行けば鏡はあったが、以前にも真田は褌一丁に近い姿で家の中を歩き回り、母からきつく怒られたことがあった。祖父ははいまだに時折怒られている。
 母に叱られるのは嫌だったし、下着姿で人前に出るものではないという母の言い分も真田は理解できる。そして祖父と真田が言う、褌は下着ではなく男子の気合いを示すものだという理論を母は決して理解してくれなかった。
 仕方ない、部室で確かめることにしようとその上から制服を身に着け、真田は学校へ向かった。どうせ朝練の際にはジャージに着替えるのだし、もっと言えばシャワーを浴びる。部室にはフォーム確認のためもあって、大きな鏡が据えられているのも好都合だった。
「行ってきます」
 まだ家族の一人も起き出してきていない家をあとにして、真田は学校へと向かった。

 早朝の道を一人闊歩する真田は、我知らず背を反らし胸を張っていた。自分が褌を着けていると思うと、いくらか誇らしいような気もする。今日が誕生日だということも相俟って、真田はいつもより心持ち、自分が大きくなったようだと感じながら学校へ着いた。まず向かうのは教室ではなく、テニス部の部室だ。
「どうした弦一郎、土鳩の真似か」
 さもなければオードリー春日と、出会い頭に蓮二が言い彼の隣りにいた赤也がどうしたことか崩れ落ちた。
 おーどりーかすがが何なのか分からず、しかし自分は鳩ではないと真田は大きく首を振って蓮二の言葉を否定した。
 蓮二が真田よりよくものを知っていることは最早疑う余地のない事実だ。その口から真田の知らない事柄が多く出てくるのも最早日常であり、なんの不思議もない。だからおーどりーかすがについて、真田は特に気に留めもしなかった。この世にあるもので真田の知らないことなどごまんとある。
「お前達こそどうしたのだ、今日は早いな!」
 早朝の部室には一番乗りだと思っていたが、今日は珍しく先客がいた。蓮二はそれでも時折真田より早く来ていることもあったが、赤也が真田より早いことは稀だった。
 いい傾向だと頷く真田には見えない位置で、今日くらいは空気読んで遅く来てくださいよ副部長…!と赤也が胸の中で呟く。声に出さないのは、口を開くと笑い出しそうだったからだ。
 蓮二の表現は的確だ。的確すぎて息が止まりそうだった。鳩胸になっている立海大附属テニス部万年副部長。辛子色のジャージを着て黒い帽子を載せたら、多分とてもアヒルのおもちゃに似ているだろう。
 ほらあの、風呂に浮かべるやつ。
「ぶ…っっ」
「む! なにを笑っとる赤也!!」
 風船から空気が抜けるような、耐えきれず吹き出した赤也の変化を耳聡く聞きつけ、真田が雷を落とした。一つ年を取って最初の怒鳴り声は、朝の澄んだ空気の中校内によく響いた。
 雷を落とされどうにかこうにか口を噤んだ赤也だったが、彼等に背を向け着替えはじめた真田を見て凍り付く。笑い出すどころの騒ぎではないなんだあれは。
 夢か何かの見間違いか、床の方が近い視線を持ち上げ、赤也は隣に立つ蓮二を見た。
 いったいどこから取り出したのか、表情ひとつ変えずいつものノートになにか書き付けている。さらさらと細いシャープペンを滑らせながら、蓮二はノートの向こうから真田へ問い掛けを投げた。
「それは今年の誕生祝いか、弦一郎」
「おお! 気付いてくれたか蓮二。うむそうだ。一つ年を取るのだから、気を引き締める意味も込めてお祖父さまがくれたのだ」
「よかったな」
 そこまでを言って蓮二はぱたりとノートを閉じた。はたしてその中にはなにが書き込まれているのか、赤也には見えなかった。興味はあるがそれ以上に、いま目の前にあることが現実だと理解する方が先だ。
 学校に赤褌着けてくるってどんな十代だよおいおいやっぱり実は四十二歳なんじゃね真田副部長あ今日誕生日だから四十三か! 結局逃げ出した意識で赤也は絞り出すようにこう言った。
「お…お誕生日おめでとうございます真田副部長……」
「うむ」
 深く頷いた真田は真っ赤な褌も含めて、とても満足そうだった。



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